すごい会議

MENU

CASE STUDY すごい会議の実施例

10年継続導入の理由とは? “会議で決めたことは必ず実行される”文化が組織成長の鍵

株式会社ラブ・ラボ

設立
1994年4月
資本金
1,000万円
従業員数
121人 (2020年度時点)
事業内容
EC事業を軸に、個人から法人まで衣料品にオリジナルのプリントができるサービスや、SP販促ツール・ノベルティ・オリジナルデザイングッズの企画提案・制作、衣料雑貨の小売販売などを行う。社内にデザイナーを抱え、顧客の期待を超えるデザインと加工技術で高いクオリティを実現。香川の自社工場だけでなく国内50以上の協力工場ネットワークを持ち、中国にも拠点を構えて顧客の幅広いオーダーに応える。
担当コーチ
大野 栄一

売上約4倍、経常利益約10倍へ。ビジョンが拡大し続けた10年

今年で導入10年目。
「これまでにどんな成果が出ましたか?」という質問で真っ先に浮かぶのはどんなことでしょうか。

前野まず分かりやすいのは、数字ですね。この10年間で全社の売上は約4倍、経常利益は約10に成長しました。

あとが個人的に一番感じるのは、意思決定者である弊社代表や私などの経営層が大きなビジョンを描くようになった点です。目標を都度大きく進化させ、その実現に踏み出せるからこそ10続いているのだと思います。

意思決定者の描くビジョンが大きくなると、会社や意思決定者ご自身にとって、どんないいことがあるのでしょうか。

前野単純に会社が成長していけますよね。ビジョンや目標を描いて、そこに近づくための行動を起こすことで着実に成長できます。

また、目標を達成するための行動力が生まれるので成長実感があり、自然とやりがいが生まれます。私はこの会社に中途入社するまでは仕事のビジョンを描いたことがなかったのですが、人と出会い「すごい会議」などの経験視野が拡がり仕事が自己実現に直結し、人生そのものが変化しました

導入初期の事業転換期。失敗しても諦めず、ただひたすらにやり続ける

導入いただいてから今までを、大きく3つのシーズンに区切ってお尋ねしていきます。
第1シーズン、導入〜4年目の本社香川でのセッションでは、どんな課題に取り組まれましたか。

前野当時は、弊社が加工業からEC事業へ業態転換するタイミングでした。初めてのEC事業でSEOって何?という状態の中、一番の課題はWEBサイトを起点とした集客。運をかけて始めた事業だったので、思いつくアイデアはどんなことでも全てやる、ということをし続けた数年でした

「どんなことでも全てやる」、その行動の成果はすぐに出たのでしょうか。

前野失敗ばかりでしたね。とにかく数を打とうと行動するものの、当時はやることなすことが失敗にしか思えませんでした。結果的には、その頃実施少しずつ積み上がって事業を形にすることができたのですが当時はそれにも気づけない。最初の3年間はひたすら失敗しながら諦めずにやり続けるだけでした。

続けたのは、他にないサービスと真剣に向き合うコーチがいるから

すぐには成果が出ない中で、なぜ「すごい会議」をやり続けるという選択ができたのでしょうか。

前野大野さんほど真剣に、本気で関わってくれる人がそれまでにいなかったです「最後まで付き合います」というスタンスが良かった

それに相手がコンサルや先生だと、答えを「貰う」感覚で、上手くいかないと相手のせいにしやすいですよね。でも「すごい会議」と大野さんは、徹底的に「問い=質問」なんです。どこまで行ってもそう。だから自分たちがやるしかない。逆に急に成果が出ないからこそ、長く付き合えたというのもあるかもしれません。

結果が出ない時に、他のサービスに切り替えようとは思わなかったのでしょうか。

前野替わりになるものがなかったですよね「どのようにすれば〜できるか?」という疑問文は他に置き換えられないです。

「すごい会議」は「人の成長」という領域のサービスの一つだと思うのですが、研修や評価マネジメントの商材は他社であっても、「すごい会議」の替わりになるものはない。替わりがないと感じる以上は、最後はここに戻ると思ったので続けました。

改めて、この時期に「すごい会議」から何を得ましたか。

前野とにかく「やる」ということですね。「できない」は許してもらえず「どのようにすればできるか?」ひたすら疑問文を作り、行動して改善を繰り返すという修行です(笑)。その時は一見成果が出ていないように見えても、やめない。

大野今思えば、足腰が異様に強くなっていった時期だと思います。皆さんがもがきにもがながら結果出ない状態非常に苦しかったと思います。でも気付けば誰よりも足腰が鍛えられた基礎体力が非常に高い組織なっていたということでしょうね

蛇足ですが、この頃から僕は毎年今年が最後になる覚悟してお付き合いさせていただいていたので、結果的にその有り様は契約更新という人質が取られずに済んで(笑)良かったのかな、と。だから仮に過去最高の売上と利益です!と言われたとしても、だからどうしたですか?そんなことだけのためにまさかすごい会議やってませんよね?」と正面からコーチングしてたと思います。

東京エリアに注力し、2本目の事業柱を確立

5年目からの第2シーズン。ここではどういった課題と向き合われたのでしょうか。

前野会社2つ目の事業として東京エリアを強化するタイミングでした。本社の権限を全て手放して私が東京に赴任し、「すごい会議」のセッションも東京移動。ECの窓口拠点として社員2人程度しかいなかった状態から、改めて会社の事業軸として数字を作っていくことが課題でした。

東京での5年間の「すごい会議」の実施で何が手に入りましたか。

前野東京事業を会社の2本目の柱にするというミッションの達成です

エリアによってサービスの特徴も異なり、本社ではプロダクトアウトで販売するのが基本ですが、東京はお客様の要望を受けてつくるマーケットインが主体ニーズに対応しながら売上を伸ばし、現在は本社と東京で5:5売上比率まで成長しました。

「すごい会議」で決まったことは必ず実行する文化がある

そこで「すごい会議」はどのような貢献ができたのでしょうか。

前野まず大きいのは、すごい会議で決まったことは社内で尊重されるという文化が既にできているです。会議で決まったことは必ず実行する。多少難しいことであってもやるという約束が過去の実績として合意されていたので、経営側も承認しやすい。私にとっては、すごい会議は意思決定の場。意思決定して実行するということを繰り返しました。

東京での問題解決で記憶に残るもの、ブレイクポイントがあれば教えてください。

前野顧客開拓の問題解決ですどんなことでも、得意な人間がやる方が良いという考えがあります

東京にも新規開拓を得意とするメンバーが1名いたので、セッションでアイデアを出中で、その彼を新規開拓の専任にすることを意思決定しました。が担当する既存顧客を全て手放してもらい、新規だけをゼロからやってもらう。大事に育てた顧客と売上を手放すのですから、当然抵抗あったと思います。でも彼はその方針を受け入れてくれ、1年後には手放した売上同額の顧客を新規生み出してくれました何より彼が素晴らしいし、会社としては既存の倍の売上が生まれ、チームとしての地盤底上げされました

すぐに結果は出なくても、意思決定次第で翌年以降の成果が圧倒的に変わります。

意思決定の場として「決める」から成長が加速する

意思決定が会社の成長を左右すると言える中で、どのように意思決定力を育まれたのでしょうか。

前野これを言ったらどう思われるだろうとか、決めにくいことは当然あります。でもこの会議の場だけは、問題解決に最適だと思うことを最優先に決定すべきだと考えています。そして「すごい会議」で決めたことは尊重されると分かっているからこそ躊躇なく選択できるです

大野「すごい会議」を非常に上手に使われてると思います。No.2という立場にある人の多くは意思決定することを躊躇うものです。でも前野さんは覚悟が違う。自分が責任を持つと腹を括って次々に意思決定していくからスピードが速い。

前野代表から意思決定者のポジションをやってみないかと言われた時は、難しく考えずに楽しんでやりました。もちろん意思決定が正しいかは分からない。でも分からないなら新しいチャレンジをした方が良い。力不足でも意思決定者は絶対に意思決定すべきです

後継者育成のためにも、どんな思考や環境が意思決定力を育むのか棚卸ししているところですが、きっと何を守るかの捉え方次第なんじゃないですかね。

外部変化に合わせて変容するための作戦会議

東京の事業化を成功させての第3シーズンは、コロナ禍での問題解決が軸と伺いました。

前野直接的にはコロナ禍によるビジネス変革期でしたが、要は外部環境が変化する中でどうビジネスを発展させ続けるかという普遍的な課題と捉えています。ここ1年はコロナ禍であらゆるイベントが中止になり、グッズ制作の機会が減少して数字が落ち込みました。でも来期は昨年同様の売上に戻す実感も十分にあります。

弊社の現在の課題は、ここ10年間で伸ばしてきたEC事業の停滞です。変化は10年スパンで起こると実感していて、原因見えてきたので必要なことを変革し続けること重要だと考えています。

他に替わりがないメソッド&会議の「場」を使った構造がオンリーワン

改めて、なぜ「すごい会議」を10年導入し続けていらっしゃるのでしょうか。

前野一つ確かなことは、「すごい会議」のメソッドは他に替えが効かないということ。「問題と向き合う」領域において、疑問文などの手法や普遍的なこと全て。他のサービスも試してはいますが、他にない、これが1番の理由です。

二つ目は「会議」に特化しているという特性です。コーチングやファシリテーションのサービスはありますが、個人のスキルや知識の話が多い。そうでなく、会議の「場」を活用した構造が他にないです。会議をしない会社はないし、1対多になるとどんなコミュニティでも有効な構造だと思います。

大野すごい会議」という「場」なんでしょうね。本気で問題に向き合う「場」が定期的に訪れるのもポイントだと思います。コーチ一人がいくら張り切ってもそれは創られない同じメソッドを使っても、参加する人の温度や空気で大きく結果が変わる。前野さんが、この「場」を貴重なものとして日頃からコミュニケーションしてくれているからこそ、高い温度感が保たれた「場」にできているのだと思います。

 

変化成長し続ける。体現しているコーチだからこそ、メンターとして欠かせない

会議の「場」という構造、メソッド、そしてコーチとメンバー。どれが欠けても10年という歴史には結び付かなかったということですね。

前野大野さんというコーチの個性が魅力的だからこそ今があるし、特に私は影響を受けています大野さんご自身が常に学び続け、変化し成長し続けることを体現していらっしゃる。口にする言葉と行動が一致している人はなかなか少ない。僕もそうありたいと思うので近くにいたいし、離れることが怖いですね。

大野コーチの存在は、前野取締役にとってどんな役割を担っていそうですか。

前野もちろん最初は「コーチ」でした。「すごい会議」という投資に対して、コーチから少しでも学びたいというのが大きかった。でもはコーチの枠を超えて1人のビジネスマンとしての尊敬が大きく、メンター的な存在です。

大野さんから毎日LINEで「問い」が来るのですが、それに対して思考することで現在置がクリアになり、ゴール迄の距離見え。見えていなかったことがふと見える瞬間があり、メンターとして一生お付き合いさせていただきたいと思っています

アジア中心の海外進出へ挑戦の「場」を拡げ、新たな市場を開拓

最後に、今後の御社のビジョンや挑戦をお聞かせください。

前野私自身の定年までと考えると、あと10年。それまでにアジアを中心とした海外展開の仕組みをつくっていきたいと思っています日本のタレントさん海外活動多く見られる、私たちはそれを最大限支援できる状態にします。既に中国拠点にはエース級の社員を送り込んでいるので、今後はアジア全体で、顧客の要望に応える企画制作から販売までの仕組みづくりを進めたい。クリエイティブ力や品質の高さを保ちながら、市場を開拓していきます

本日はお話をお聞かせいただきありがとうございました。

大野 栄一 おおの えいいち

株式会社一番大切なこと

私のコーチとして使命は、『苦悩に値する働く意味』の創出です。

地球は平らだと信じていたがために出帆しなかった船は、どれくらいあるだろう?

信じているものが見えるものを限定し、見えるものは打ち手を限定し、打ち手は当然のことながら、望でいる結果が手に入るかどうかを決定付けます。あなたは何を信じてビジネスしてる?

導入実績は1,000社以上 すごい会議を実施したい! 御社で実施するにはこちら